2日目その2「上野は僕らの心の駅だ」の巻


さて次に我々が向かったのは、「一生懸命辛抱して働けば、いつか必ず誰もが幸せになれる。」という、一部の人間にだけ都合のいい夢を信じてた多くの若者の心の故郷「上野」であった。
そこには、都内に三軒しか残っていないという寄席のひとつ「上野鈴本演芸場」があるのだ。
かつてはひとつの町内に必ず一軒はあるといわれた寄席も、テレビなどの娯楽の氾濫によって、次々と姿を消していった。
現在では、ここ鈴本の他は「新宿末広亭」と「池袋演芸場」しか残っていない。
どの寄席も繁華街の地代の高い場所に建ってるわけだし、さっぱり儲からないこんな商売より、別のこと考えようって思うなって方が無理だもんね。
やめた人の方が正解だと思うよ、ジッサイ。
でも、そこはほれ!!江戸っ子の心意気、「銭金、銭金って目くじらたててんじゃあねぇよ。人間余分に銭もつとろくなことにゃならねえぜ。」って感じじゃないの。
その意気に感じなきゃこちとらも蝦夷っこの名折れってもんでしょ。
で、いってきましたよ、上野鈴本。

昼席も少しで終わるってとこだったので、割引料金になっていて、お一人様2千円
三階にあるホールへ行くと、ちょうど中入り前の落語家が、終わる頃だった。
客席は、200人程度の中ホールぐらいの大きさでで、前のイスに折りたたみのテーブルがついている。
そこへ、弁当や飲み物を載せるようにできているのだ。
平日のせいか、普段もそうなのか客は30人程度。
これじゃやっぱり、ワリは合わんよね。

そうこうしているうちに、出てきたのは「ニューマリオネット」という人形遣い。
夫婦なのだろうか、2人で操り人形を動かすのだが、無表情で妙に肩の力の抜けたその仕草にかなりはまった。
「花笠音頭」や「会津磐梯山」なんかをバックに、人形を動かすのだが、もう何十年も同じことを繰り返してきた人間の持つ余裕が感じられて、古典的なギャグのシーンでも大笑いしてしまった。
そのあとも、正統派「林家正雀」や声帯模写の「江戸屋小猫」なども出たのだが、今回のヒットはやはりこの「ニューマリオネット」のお二人であった。
ただひとつ心残りだったのは、われわれの入る少し前にお気に入りの漫才師「あした順子ひろし」が終わっていたことだった。
みたかったなぁ。生順子と生ひろし。
でも、どんな形であれ自分の住む町に寄席があるってのは、すごい贅沢な感じがしてよかったねぇ。
そしてどの出演者もホームグラウンドでやるせいか、適当に力が抜けててすごいリラックスしてた。
おかげでこちらもアルファ波がでっ放しで、ゆっくり眠らせていただきました。


二階にある売店でちょいとみやげもんなんかを買って、次のお目当て「池之端の藪そば」へいく。
池之端ってぐらいだから、きっとここらあたりにも以前は大きな池でもあったんだろうけど、いまはもう繁華街のど真ん中。
多くの落語家達が寄席のあいまに通ったという老舗中の老舗だ。
中に入って小上がりに座ると、となりのテーブルでは、ビールとそば焼酎で大いに盛り上がっている。
われわれも大いに盛り上がりたかったが、大事な研修中なので、大人しくもりそばをたぐって、池之端をあとにした。でも、浅草の「並木の藪」といいこの池之端といい、盛りが少ないねぇ。
「江戸のそばは三口半」なんていうけどほんとだね。
これが粋ってことなんだべか。

研修番号第4番の「庶民の伝統芸能の城、寄席の見学」も無事終了したわれわれは次の目的、研修番号第6番「古きよき下町の風情が香る谷根千の散策」のため、谷中へ向かった。


下町の風情が多く残っている谷中、根津、千駄木を通称「谷根千」といって、またまたガイドブックなんかで「いまは下町がイカす」とか盛り上げてっけどいいかげんやめてもらいたいね。
ただ、ガイドブック持ったお姉ちゃんがうろつくぐらいならいいけど、またきっとそうなったらつまらない中味のない店が一杯出来たりして、風情もクソもなくなっちゃうに決まってんだから。
で、また使い捨てか?芸がないね、まったく。
あんたがたは六本木ヒルズでもいって、回転ドアに頭でもはさめてんのがお似合いなの!!
大体この谷中って町は、あの昭和の大名人五代目古今亭志ん生が住んでた由緒ある町なんですぞ。
それも家賃をためた末の夜逃げで五ヶ所も移ったという由緒ある町なんすから。
さらに、そこには息子の志ん朝が通ったという「ヘアーサロン ヤマザキ」や志ん生が入りに行っていた「世界湯」という銭湯までが現存してる東京遺産認定間違いナシの貴重な場所なんだから。
あーあ、流行らないでほしいな。「谷根千」。

ってことで、グズグズいいながらもわれわれが向かったのは、その志ん生が入ったという銭湯「世界湯」。
地図をみながら「谷中銀座商店街」を冷やかしつつ、「夜店通り」に向かうが、銭湯らしきものが見あたらない。
「もしや、廃業してしまったのでは・・・。」とおもい、人に尋ねてみると、小さい路地を入ったところにその「世界湯」はあった。
こりゃわからんわ。


昔懐かしい木の札の下駄箱に、靴を入れ中にはいるとそこはもう昭和の世界。
備え付けなのかちゃんと下町のじじいが腰に手を当てて、手ぬぐいを肩にかけて牛乳を飲んでいる。
志ん生の定位置だったという一番入り口の席に手を合わせ、「寿限無寿限無」と念仏を唱えたあと、体を洗い湯船にはいる。
片足を入れてビックリしたのはその熱さ。
湯船の奥の方に温度計らしきものがあるのだが、どうもそれによると45゜Cという温度らしい。
下町の銭湯は熱いとは聞いていたが、45度ってあんた、熱湯でしょこれ。
べつに自分をゆでにきたわけじゃないだからこっちは。
でも、何事も研修研修、体中真っ赤にしながら入りましたよ、二度も。
おかげで昼間っからの疲れがきれいに吹っ飛びました。
なんかクセになりそうな温度だったなぁ、45度。

さあ、疲れもきれいに吹っ飛んだところで、さらに研修研修
研修番号2番「アイリッシュ・パブのメニューおよび味付けの研究」を片づけなくっちゃ。
ああ忙しい忙しい。


2日目その3「研修は続くよ。どこまでも」に続く