3日目「こんな風に過ぎていくのなら」の巻


はじめて入った「江戸深川資料館」は、ひとことでいえば、映画のセットのようなものだった。
しかし、ちょっと違っているのは短縮されてはいるが、1日の流れがあること。
はじめはいったときは薄暗かったが、しばらくすると鶏や雀が鳴き出し、物売りの声が聞こえはじめ、まわりが少しずつざわめき出す。
そして夕方になると、暮れ六つの鐘が鳴り、暗くなっていくのだ。
しかも、何パターンかあるらしく、時々雨の日も用意されていたりする。
小さいながらも船着き場があり、船宿や花見の屋台、火の見櫓・・・・。
江戸の下町の暮らしが等身大で体験できる。
ほかの資料館にありがちな、野暮な説明書きなどは一切ない。
ただ、ほんのひととき江戸っ子になりきって町をうろうろすればいいだけの、下町深川らしいこざっぱりした作りになっている。
ま、つまらない人にとってはまったくつまらない場所かもしれないが、ようは入り込めるかどうかの問題だね。
して、我々はというとすっかり江戸っ子に変身しちまったぜ。べらぼうめ。おとといきやがれってんだ。こんちきしょうめ!!


しかし、覗いて歩けば歩くほどそのシンプルな暮らしに驚いてしまった。
以前立川談志が、「俺の基準では、めしを食う場所と寝る場所が別だってのが金持ちだって証拠だ。」といっていたが、つい何十年か前には、めしを食ったら片づけてそこに布団を敷いて寝るのが当たり前だった。
それが今じゃ寝室が別にあるってのが当たり前。
日本も裕福になったもんすね。

あるひとりもんのシジミ売りの家を覗くと、左に小さいかまど(へっつい)があり、その横に二十センチ四方ぐらいの流しがある。
猫の額ほどの土間と、四畳半の部屋、その隅には布団が積んであり、土間の隅っこには商売道具のザルだの天秤棒だのがおかれているだけ。
暖かくなると冬物を質に入れ、寒くなってくると夏物を質に入れて、冬物を出してきていたという。
してみれば、長屋の連中にとって質屋とは自分のタンスのようなものだったかもしれない。

わらでも竹でもかまどの灰から紙くずのはてまで、使って使って使い回していたという究極のリサイクル都市「江戸」
あの時代に百万人を超えていたという世界でも類をみない巨大都市が、今の日本のような大量消費を繰り返していたら、とても保たなかっただろう。
だれが考え出したか知らないが、ものを粗末にしないという考え方は今一番、日本人の失ってしまった感覚かもしれない。


いなり寿司の屋台
これをかついで吉原あたりにも売りに行ったという
でも一体どれぐらいの稼ぎになったことやら?
あんましガツガツしてなかったみたいですな。
八百屋の店先
二階に住むようになっている。
隅から隅までシンプルな生活。
天ぷらの屋台
これだけの設備で、揚げ物をしていたというから驚く。
でも、裏側に回ってみると納得できる。
すべてがコンパクトにまとめられている。

長屋の隅から隅まで、歩き回り勝手に他人のうちに上がり込み、船着き場や花見の屋台でくつろぎ、気分はすっかり江戸っ子になってしまった。
とくに井戸端から狭い路地を抜けるあたりは、「路地マニア」としての血が騒ぎ、いっぺんに炭坑町の少年時代にタイムスリップしてしまった気がした。

で、我々はここで何を学んだかというと、「とりあえずあってもいいという程度のものは、なくてもいい。」
「なくては困るというものの中にも、なくても困らないものが紛れ込んでいる。」
「モノを粗末に扱うことで裕福な気分になったような錯覚に陥ってはいけない。」
なんていう、禅問答のようなものだった。
そのせいか、あれからというもの我が家の買い物の量がかなり減ってしまい、とくに、小物類だのはほとんど買うことはない。
でも、とくに困らないし、家の中にものがあふれていると落ち着かなくなってしまったので、どんどんものを片づけて、人にあげたり捨てたりするようになってしまった。

「消費が冷え込んでは、いつまでも不景気が続くので、もっとがんばってお買い物をしましょう。」と、いくら経済学者にせっつかれても、もう今まで揃えたもので十分生活は成り立っている。
それでも、あの時代の人達から比べると、何百倍ものモノに囲まれて暮らしているのだ。

「深川資料館」・・・・勉強になりました。
こんな時間が過ぎてゆくのなら、江戸っ子も悪かねぇね。・・・というより、うらやましいわ。

気分はすっかり小唄のお師匠さん。
「あら、忠さんお茶でも飲んでいったら?」
気分はすっかり、風呂上がりの職人。
「くぅー、こいつがあるからやめられねぇ。」
花見の「おやすみ処」で一服
なんとも乙ですな。

3日目その2「夜の新宿裏通り」につづく
ん?もう続かなくてもいいって・・・・まあそんなこといわず・・・毒を食らわばなんとやらってね。